「やぁ、スルエン。」
執務室に入り、友人に声をかけると同時に、風を切る音がした。

「なんだ。レイか。」

「いや、いま目が合ってからダーツ投げたろ。」

レイチェルの頭の横にはダーツが深々と刺さっている。

「何だ。」

「何サラっとながしてるんだ…瞳孔開いてるぞ。寝癖ひどいし。人の机の上に足載せてんじゃないよ。」

「眠い。」

「聞け。」

「何だ。今日はデートじゃないのか?はん、ふられたか?」
レイチェルの後ろからバロールが声をかけた。



その瞬間。
文字通り、空気が凍った。



スルエンは無言で的にダーツを投げる。


(…すっげーいじけてるなぁおい。)

(言うな…)

(とりあえず、出ようぜ。)

(…バルがでなきゃ私が出られない。)
「なんつーか。あいつ。こっそり真面目にホレるタイプだよな。」

「んで、愛情表現が小学生並みで、毒舌がありえないほどだからね…」

「写真があったから、からかったら何があったのかと思ったぜ…」

あぁ、とレイチェルは頷いた。
「最初は全っ然、彼女のことだなんてわからなかったよねー…」

『豚のように食べ、あひるのように話し、市場よりも騒がしい』

当時のスルエンのセリフを思い出し二人とも苦笑いを浮かべた。


『目なんかおばけみたいにでかい。足は遅いし髪は爆発している。』


「多分ノロケてたんだよな。」

がしがしと頭を掻きながらバロール。

「笑ってたしね。何事かと思ったよ。」頬杖をつきながらレイチェル。

「まぁ、一般的なノロケをされたら世界が終わるしな。」

「その前に心臓止まる。」

「理由ぐらいきーてみるか?」

「今、あんたのことを心底すごいと思ったよ。」

真顔で言ったバロールに同じく真顔で即座に返したレイチェル。

「次にいかせるよーにアドバイスぐらいしてやんねーと。男同士の友情ってやつだぜ?あいつ絶対わかってねぇよ。ふられた理由。オラ、来い。親友のピンチだぜ?」

がっしとレイチェルの肩をつかみ、ばしばしと背中を叩いてバロールは歩くように促す。

「一人で行け!本当に都合のいい男だ…!」

今のスルエンと向かい合うなんて嫌だ、触らぬ神に祟り無し!とレイチェルは抵抗していたが、次の一言でピタリと大人しくなった。


「あんな状態で仕事一緒にしたくねーよ。」

キッパリと真顔でバロールが本音を言ったからだ。




全く同感だった。




「…何とか慰めるにも触れちゃまずい部分がわからなければ、恐ろしくて手を出せ…慰めようがない。まず、振られた理由。」

「鉄面皮。」

「いや、それだけじゃ…初めからだし。あの毒舌に耐えられなくなかった。」

「だとは思うが、てめーが悪いじゃ慰めになんねーだろ。」
しばし、沈黙が流れた。


じっと見つめ合う。否、何とかしろと無言の押収が繰り広げられる。


先に音を上げたのはバロールだった。
ドサッとソファに身を投げ唸る。
「…なんでこんな中坊みてぇなマネしなきゃなんねぇんだ。ほっとくことにしね?」

「あんたが言いだしたんじゃん。」

苦笑いしながら、レイチェルもソファに座る。
「いやーもう勝手に立ち直れ。俺は知らん。寝れば直るだろ。」

「風邪か。」

「未練たらしいぜー…あーぁ、あのサディストが普通の女が好みって所からしてやべーよ。」

「極度の照れ屋だと言ってあげようよ。」

彼女に対する言葉としちゃ最低だけどねぇ…とレイチェルは胸中でつぶやいた。
「あの笑顔を見て、大抵の人間は楽しんで言ってるって思う奴が大半だと思うぞ。」

「私には照れ笑いにしか見えないよ。」
「目が泳いでるぞ。」

「でも一応付き合うまでは行ったんでしょーに。…金と顔か?」

あちゃーといった風情でレイチェルが言えば、バロールもがっくりきたように続ける。

「あースルエンの奴、それぐらい見抜けよなぁ…」

「本決まりでないし。恋は盲目?」

「気色わり…二度目言ったらコブラツイストだ。」

「あ?」

睨み合う2人におずおずと声がかけられた。

「あの…これ、スルエンさんに届け物なんですが。」

「ん?」

差し出されたのは紙袋。
何か小さな箱が入っているようだ。


「先ほど、レイチェルさんのお部屋におられると聞いて、行ったのですが…」



あぁ、といった風情でレイチェルはその紙袋を受け取った。

自分たちですら逃げたのに、他の人間では無理だろう。



無言のまま、バロールと連れ立って部屋に戻る。

このまま、執務室を占拠されては仕事にならない。





「…入るよ。」


なんで自分の執務室に入るのに断りを入れるのかわからないが、とにかくレイチェルはノックをして入った。


スルエンは無言のまま、ふんぞり返って椅子に座り、足も相変わらず机の上だ。

全く。女々しい奴だ。とレイチェルは胸中で毒づいた。

「スルエン。届け物。」

「だれからだ。」

ポツリ、と硬質な声が返る。


レイチェルとバロールは沈黙で答えた。
添えられていた受け取り証には、覚えのある名前。



「開けてくれ。」


レイチェルが中身を取り出す。


やはり、箱だ。

明らかに、どういう用途の箱かわかる。

表面は滑らかなビロードでクラシカルな赤。
しっかりした造りで、控えめにしかしはっきりと誰でも名前を知っているブランドのマークが入っている。



よく見ると、中に電話の近くに置いてあるようなメモパットも一枚入っていた。


箱だけでも2人は頭が痛かったのだが、そのメモの内容で見事に凍り付いた。




(お前が言え。)
(言えるか。)
(開けたのはレイだろ。)
(言えるか!)


「何だ。」


結局、レイチェルがバロールに押し付けることに成功し、バロールがメモと箱を机上に置いた。



スルエンはそれを無造作に掴み一瞥すると、ゴミ箱に即座に投げた。


メモも箱も、きれいな弧を描き見事にシュートされた。


「…なんて言ったんだ?」

バロールが明後日の方角を向きながら聞いた。


レイチェルはよく聞いた!と胸中で拍手喝采しながらもじっとしていた。



「…ライブに行きたいと言ったから、豚が豚の鳴き声を聴きにいってどうする。もっとましな物に時間を使えと言った。」





2人は心底彼女に同情した。


例え、彼女が顔目当てでも金目当てでもそれまでこの男に付き合ったことをねぎらいたくなった。

スルエンは執務室を無言で後にした。
仕事に戻ったのか、なんなのかはわからないが、とにかくいなくなった。



スルエンが去った後、バロールはぼそりと言った。
「強烈なメッセージだったな。」

メモには“豚から豚へ。真珠は返す”との走り書きがあった。

レイチェルはゴミ箱の箱を拾い中身を確認した。
「高そうだ…ピンクパールじゃんかよ。人の部屋のゴミ箱に捨てられても困るんだけど。ん?これ、クラシックのチケット二枚…」



「誘うつもりだったのか。」


ポツリとバロールが言った。




「チケットはいいとしても、指輪…ここに捨てられても…」



困り果てたレイチェル。
金に変えるほど、困っているわけでもなくさりとて貰うわけにも行かず。



「寄付でもするかな。」


「そうしろ。」




内線が鳴った。
仕事だ。

「はい。」


彼女達にとって当たり前の日常が戻ってきた。





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